OSHOヒューマニバーシティ・ジャパン
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2009年から、AUM瞑想に新しいステージの
「ごめんなさい」が
ついた理由。
ビレッシュはヒュマニバーシティのAUMマラソンに新しいステージを付け加えました。AUMのこのパートは、否定性から肯定性に橋を架ける役目を務 めます。そして、ただ相手を責める代わりに、争いの中であなたが演じている役割を映し出し、それに責任を取ることができるようにします。
お互いの両肩に手を置いて、目を合わせて、この言葉を言い合います。「もし私があなたを傷つけていたら、ごめんなさい。」そして、それからハグをします。
「I Am Sorry」の歌詞 By ビレッシュ
If I hurt you – I'm sorry
It was never my intention to make you feel bad
I only wanted to express the pain in my heart
もしわたしがあなたを傷つけていたら - ごめんなさい
あなたを嫌な気持ちにさせたかったわけじゃない
ただ、ハートにある痛みを表現したかっただけなんだ
If I hurt you – I'm sorry
My reactions are not personal, and I know I use you
to project my aggression and my desperation
もしわたしがあなたを傷つけていたら - ごめんなさい
わたしの反応はあなたに向けたものじゃない
それに、わたしの攻撃性と絶望の鏡に
あなたを使ったんだっていうことを分かっている
All I can say is please forgive me
and thank you for giving me the space to be myself
If I hurt you – I'm sorry
言えることはどうか許して欲しいということだけ
そして、わたしが自分でいることができるスペースをくれてありがとう
もしあなたを傷つけていたら - ごめんなさい
If I hurt you – I'm sorry
It was never my intention to make you feel bad
All I can say is please forgive me
Thank you for giving me the space to be myself
If I hurt you – I'm sorry.
もしわたしがあなたを傷つけていたら - ごめんなさい
あなたを嫌な気持ちにさせたかったわけじゃない
言えることはどうか許して欲しいということだけ
そして、わたしが自分でいることができるスペースをくれてありがとう
もしあなたを傷つけていたら - ごめんなさい
(c) Humaniveristy Foundation
2009年4月の
ビレッシュのダルシャンからの抜粋
「今年のプーナで、たくさんの人たちが否定性から肯定性に切り替えるのが難 しかったと報告してくれました。彼らはある種のショック状態にあって、『愛しています』というステージに移る前に、まず移行期間を必要としていました。彼 らにとって、『もしあなたを傷つけていたら、ごめんなさい』と表現すること、そして同時に、相手の人からそれを聞くことも重要でした。そしてこれはうまく はたらいたのです。だから、今AUMには13のステージがあります。」
チャンドリカが付け加えています:
「このステージはまた、参加者が自分の日常生活に統合することができるとい う意味でも重要です。関わり合う中で、間違いを犯して、お互いが傷つけあうこともあるかもしれません。もっと愛にあふれた関係性へと移っていくことができ る前に、謝って、お互いに『もしあなたを傷つけていたらごめんなさい。私の無意識をどうか許してください。』と言い合うことで、それを正す必要がありま す。」
Osho Humaniversity Newsletter April 2009
ビレッシュへの
質問からの引用
Q:このAUMマラソンに参加するのに、最もよい姿勢は何でしょうか?
ビレッシュ:よい考え、よい言葉、よい行動をもつことです。悪い考えをもってはいけないということではなく、もし自分が否定的なところへ滑りこんでしまったことに気づいたら、方向転換をする、ということです。
そしてもし自分がたわごとを言っているということに気づいたら、「ごめん。ばかなことを言った。失礼。言いたかったことはこういうことなんだ…」と言ってください。そうして美しいやり方で振舞うことで、よい行動が、世界に美をもたらしていきます。
Q:関係性の中で楽しむことと、相手をいい気分にさせるようなことをすることとの違いは何でしょうか?
ビレッシュ:飛び込みなさい!関わりなさい!すべてを完璧にすることができるように、関係性をデザインしようとしないことです。そうしないと、退屈 してしまうでしょうから。あなたは、計画など欲しくはないはずです。今私は彼女を喜ばせている。今私は自分のためにこれをしている。それはすべて、ただの 概念です。その本質は、愛を与えるということです。ほかのすべては巧みな操作です。
あなたは愛する必要があります。それでも時には自己中心的になるし、別の時には本当に彼女のためにそこにいることができるでしょう。究極の目標は、あなた のハートが開いていて、中心に定まっているとき、本当に現在にいられることですが、自分に課す計画を作り上げてしまわないでください。
Q:罪悪感について何か言っていただけませんか?私は罪悪感の悪循環から逃れる道を知りたくてたまらないのです。
ビレッシュ:これは私が学んだことです。罪悪感は、いつも誰かほかの人との関係の中で起こります。「罪」という遺伝子をもって生まれたわけではあり ません。ミルクのコップをひっくり返して、両親が「ダメ!」と言ったら、あなたは自分が何か間違えたことをしてしまったのだと感じます。ちゃんとしなかっ たから、両親に怒鳴られ、ひどい気持ちになったのだ、と。
恥に関しては、それほど、自分以外の人との関係の中で起こるわけではありません。誰かがあなたに「へまをやったな!」という必要はなく、自分で自分に言うからです。
罪悪感を扱う一番よい方法は、できれば、過去に戻り、ごめんなさいと謝ることです。「私はミルクのコップをひっくり返してしまいました。次は気をつける よ。これは片付けておくよ。」と。できれば、あなたがしたことや、あなたのせいでひどい気持ちになった人のところへ戻ることです。あなたの両親や、友達、 誰のところへでも。そしてそれは、実際に行動する必要さえありません。マインドで作り出したイメージ、自分で想像した何かでいいのです。あなたは何か間違 えたことをしたのかもしれない、だからそれを片付けます。
私は皆さんに、自分の人生を見てみて、何に対して罪悪感をもっているのか、何に対してひどい気持ちを感じているのか、何が問題なのか、何をしてしまったと 感じているのかを見つけ、それを掃除することを勇気付けようとしています。そのうちのいくつかは片付けることができるかもしれないし、そのうちのいくつか は謝ることができるかもしれません。時には、相手の人はもういないかもしれません。その場合は、手紙を書くことができます。
罪悪感は人を殺します。もしあなたがたくさん罪悪感を持っていたら、その罪悪感はあなたを食べつくしてしまうでしょう。それは健康的な感情ではありませ ん。憤りにしがみついているようなものです。だから私たちは、あらゆる感情を内側に抱えているのではなく、グループルームの中で投げ捨ててしまうように勇 気付けているのです。
罪悪感と恥につかまったままでいないで下さい。これらは否定的な感情です。それに対して何かをしてください。掃除をすることで、呼吸をするスペースを持つことができるのです。
Q:私は自分の痛みを表現することが難しいと感じています。泣くことはめったになく、ほとんどの時、私はそこに閉じ込められているように感じます。
ビレッシュ:計画を立てないようにしてください。AUMの中に入っていき、この痛みというゴールに到着しようとせずに、できるだけ全身全霊で全てのステージを行ってください。あなたのからだと経験が、あなたが必要とする方法で、感情を表現していくことを許します。
私がグループを受け始めたとき、痛みの中に入っていくことができた唯一の方法は、人生で起こったありとあらゆる恐ろしいことではなく、10歳の時死んだ愛犬のことでした。他のすべてのことは大きすぎたのです。私には対処できませんでした。
それは瓶から水を出すようなものです。水は出てくることができる速さで流れ出てくるだけで、瓶を割ってしまうのでもなければ、それより速めることはできません。
Q:瞑想とは何ですか?
ビレッシュ:内側を見ることです。外側で何が起こっていようとも、同時に内を見ることです。あなたが台所で働いているとします。そこで何か問題が起 こった時、あなたはドラマを作ることもできますが、同時に60人の人がテーブルについて食事をする必要があるということに気づいて、ドラマを作り出さない ことを選ぶことです。
ギーティ:それは、自分のハートを感じることができる内側のスペースです。そしてハートが「ワォ!」と言うことです。外側で起こっていることとは関係な く。たとえ自分が混乱していたとしても。それは私の内面にある、本当の私、私の家、私の愛、私のハートです。本当に美しい何かです。
●AUMの本質は、平和なマインド、愛にあふれたハート、そして美しい行動だ。(ビレッシュ)
(2009年AUMマラソンで行われたダルシャンでの、ビレッシュへの質問からの引用。2010年ニュースレターより新しく翻訳しました。Abhaya)
インタビュアー:
チャンドリカ(ヒューマニバーシティ・セラピスト)
危機を踏み台にする
OSHOタイムズ ドイツ語版のインタビュー
ビレッシュは、人生の危機に対処するための革新的で慈愛にあふれたガイドで、多くの人たちを助けてきた知恵あるティーチャーであり、セラピストです。このインタビューの中で、彼は、たくさんの深い胸を打つ人生経験を分かち合っています。
インタビュアー:チャンドリカ
語源からたどる危機(crisis)の定義:ギリシャ語の「krisis」は、病に おけるターニング・ポイントの意味。1627年に、医学用語以外の意味にも使われるようになった。「中年期の危機」は、ドイツ語で 「Torschlusspanik」であり、文字通りの意味は「ドアが閉ざされたことへのパニック」、閉ざされた門の裏側に残される恐怖のことである。
●ビレッシュ、危機とは何ですか?
言葉にするなら、ワォ!はポジティブなアファーメーションです。あるいは、人生にYES!というのもそうです。危機は、大きなブーイングのようなものです。人生にNo!を言うことです。
14歳から28歳まで、私はヘロイン中毒者でした。そして、7回のオーバードーズの経験があります。泡を吹いて、青い顔をして、顔中が腫れあが り、人は私を生き返らせようとして顔を平手打ちしました。チューブを鼻に通して、喉にも通して、腕には点滴が打たれることになってしまいました。それは生 命の危機でした。それが7回もあったのです!
私の身体のシステム全体が止まってしまいました。そして、どういうわけか私は戻ってきたのです。1回目には、 こう考えます。この次はもっと気をつけないと、と。ところが2回目が起こります。3回目も・・・。この危機は、私の内側にいる自分が起こしました。
私は本 当に惨めさの中にいました。私の外側の振る舞いは、内側のフィーリングの反映でした。すべてがどうでもいいと感じていました。まったくどうだってよかった のです。これが人生の危機です。
そして、他の種類の社会的、感情的危機もあります。誰かが亡くなって、完全に取り乱している時。あるいは、恋人が去ってしまって、世界の終わりだと感じている時・・・。
―あるいは、仕事を失った時もですね。
そうです。それは大きな問題です。もし家族がいて、仕事を失ったら、それは恐ろしい経験でしょう。離婚もそうです。両親にとっても、子どもたちにとっても。
―では、危機とは自分の基盤が粉々になってしまった不安定な状態ということですね?
まったく、そうです。
●成長のために、危機は必要ですか?
もし危機が一つあれば、助けになります、とでも言っておきましょうか・・・(笑)
でも、必要不可欠ではありません。私はそうは思いません。
人生で たった一つの大きな危機を経験した人と、たくさんの危機があった人がいて、たくさん経験した人の方に価値があるのでしょうか?
いいえ。私にとっては違いま す。危機を経験しなければいけないわけではありません。
いつも恍惚とした至福を経験することもできるのです。それならばすごいワォ!です。だから私は、危 機が必要だとは思いません。
―しかし、危機を何か価値あるものに転じることもできますよね?大きなブーイングは、人びととワークする時とても助けになる道具になり得ます。
ええ、そうです!ロンドンで、ドラッグから回復するためのコミュニティーを運営していた時のことを思い出します。
私は、誰かがそこを去ろうとした ら、本当に取り乱したものでした。その人がまっすぐドラッグに戻ってしまい、オーバードーズを起こして、死んでしまいかねないのを知っていたからです。そ のときは、本当にパニックになりました。その人はちょうど関係性の危機か何かを経験していました。だから、この人が自殺する可能性があると分かっていまし た。
あれは、深刻な危機です。
●サニヤシンとして、危機に対処する特別な方法がありますか?
サニヤシンとして・・・ 極端な例です。ある男性が私のグループに来たことが思い出されます。彼は、自分の子どもを肉体的に虐待してしまう、とシェアしました。
私は、自分が、何て ことだ!この男は未来の怪物を作っているんだ!と思ったのを覚えています。非行少年や、犯罪者、未来に起こるであろう危機・・・このばかげた振る舞いのせ いで、自分の子どもに対して感情を行動で表して、虐待してしまうせいで。
私は彼に、次に子どもを殴りつけたいと思ったら、まずブロック塀を殴るという約束をしてくれるよう頼みました。彼からそのコミットメントを引き出 しました。彼がそう言ってくれるのが聞きたかったのです。自分が何をしているのかということに、意識的になって欲しかったのです。
もう一つの例は、そんなに昔のことではありません。イタリアにいる私の友人が癌だということを聞きました。私はひどく気落ちし、自分を無力に感じ ました。周りを見渡して、「笑うブッダ」、“布袋”の小さな像を目に留めました。OSHOが私にくれたものです。一瞬、これをあげてしまうのは嫌だ、とい う風に感じました。本当に大切なものだったのです。
しかしとにかく、私はそれを彼女にあげました。気持ちが落ち込んだ時、その布袋像を見て欲しい。そうし たら、彼が元気付けてくれるだろう。というメッセージを添えて。
あなたにとってはどうですか?チャンドリカ。サニヤシンとして、危機の中にある人と、どんな風に付き合いますか?
―去年、私たちの親友のうちの一人で、イギリスに住むセラピスト、プラギートが突然亡くなった時、私たちは本当に大きな危機を経験しました。誰も がショックを受けていました。私たちは集まって、お互いを腕に抱き、共に泣きました。私たちは、お互いのために、ただそこにいました。彼に関するすべての 美しい思い出、彼が教えてくれたこと、私たちにとって彼がどれほど大切だったかをシェアしました。丸一日と、丸一晩かけて、分かち合いました。私は、あれ は危機に対処するとても美しい方法だと思います。
私はプラギートの生徒の内の一人が、彼の死に本当にショックを受けて、すべてを閉ざしてしまったということも聞きました。その人は何も表に表しませんでした。何も言わず、孤立して、外へ出て行ってしまいました。一人で芝刈り機の上に座り込んでいたそうです。
サニヤシンとして、私たちにはフレンドシップ(友情)があると思います。お互いのためにそこにいて、困難な感情を共にくぐり抜けていきます。
それは、ハートのつながりです!すべて大丈夫になるよ、と、お互いを安心させることができます。
●危機の中にいる時に、あなたは何ができますか?ただ人生で起こった事実を受け容れて、時が過ぎるにまかせるという部分もありますか?
そうですね。危機のときに私がすることで、私の友達全員にもそうするように勧めることは、孤立して、引っ込んでしまわないことです。そうするので はなくて、その状況によって内側に生じる痛みをすべて解放することができるまで、何度も繰り返し分かち合うことです。それは孤立の反対です。
私は、自分が 大きな危機を経験している時には、それでも一人ぼっちではないのだ、ということを知っていたいと思います。
●最近あなたはいつ大きな危機を経験しましたか?そして何が助けになりましたか?
私の以前のガールフレンドだったパヴィタと私の息子が、ブラジルへ行ってしまったときのことを思い出します。彼女は私と関係を続けたり、家族に なったりしたくなかったのです。そのことは、私の夢、私の期待、私の希望、私の切望、私の欲望を完全に打ち砕いてしまいました。私は真っ暗なブラックホー ルへ落ち込んでしまいました。そして私を救ってくれたのは、周りに友達がいてくれたことと、何度も繰り返しシェアをし続けたことです。
一人でいれば、頭の中で何度もこれを繰り返して、解決までに3年かかったかもしれません。けれど、私は3ヶ月で乗り越えることができました。私は 自分が経験していることを友達と分かち合いました。決して友達が解決に至らせてくれることを期待したのではありません。
実のところ、彼らのしてくれたこと は、私に耳を傾け、思いやってくれたことでした。私はとても愛されていると感じさせてくれたことは、癒しになりました。悲しみと痛みを分かち合ったこと は、魔法でした。耐え難い危機を経験している時、私が必要としていることはそれでした。私の友達が、私のためにそこにいてくれる、ということです。
この時期、私にとってショックだったことは、ドラッグをやっていた頃の古い記憶がよみがえってきたことです。私は、それはもう消え去ったと思って いました。私の持つ姿勢全体が、まったくどうだったいい、何もかもどうでもいい、というものでした。
そのフィーリングを再び経験したことに、ショックを受 けました。そして、友達の助けを得て、這い戻ってきたのです。
今では、パヴィタは私の友達になり、私は状況をあるがまま受け容れています。
●他に何か話したいことはありますか?
何年も前に、私は責任ということについてこの概念を学びました。:私は自分が誰かということに責任がある。私の人生で自分が行うこと、私の人生で 自分に起こることに、私は責任がある。それを受け容れるのは難しかったことを覚えています。
不公平だ、そんな現実は最低だと思いました。今では、責任を取 らなければいけないことが分かっています。もしあなたが危機の中にいるなら、ブラックホールに入って、そこにとどまり、外側の世界に不平を言い続けること を選ぶこともできるし、それを踏み台にして前に進んでいくこともできるのです。
何年も前、ガンダが私の寝室に飛び込んできて、私を見て、ショック状態にあったことを思い出します。私はベッドからはね起きて、尋ねました。「何 があった?」彼女は答えました。
「Oshoが亡くなったの。」私は彼女を見て、言いました。「嘘だ。そんなはずはない。プーナに電話をして、問い合わせて くれ。」そして彼女は部屋を出て行きました。
そのとき、Oshoが死んだというその考えが、私の胸をぐさりとつらぬきました・・・。私は凍り付いてしまい ました。ショック状態でした。呼吸をすることもできず、息を切らしてあえぎました。落ち着くまでしばらくかかって、それから赤ちゃんのように泣き出しまし た。全世界が止まってしまったように感じました・・・。胸が裂け、心臓が飛び出したかのようでした・・・。私は、ただ、泣きました。
周りに友達がいて、分かち合うことができたのはいいことでした。死んでしまいたいという気持ちを感じていました。私は本当に打ちのめされていたの です。私のマスターであり、友人が逝ってしまった・・・(ビレッシュはすすり泣く)そして・・・、今、私はOshoをすべての人の中に見ます。
―彼は、私たち全員のハートの中にいます。
そうです。永遠に。
チャンドリカ、あなたは危機に対処することについて他に何か話したいですか?
―私のワークショップで、人びとが自らの危機の経験から得た知恵のすべてを認識した時、彼らはそれを他の人を感じて、理解し、サポートするために使うことができるということが見えます。それは、彼ら自身の癒しに向けての大きな踏み台です。
そうです。それは本当にいい方法です。もし例えば、あなたが回復したアルコール依存者だとしたら、他のアルコール依存症の人を助けようとする時 に、もっと自分が見えます。自分が数年の間、「飲んでいない」のを想像してみてください。
そして誰かが入ってきて、飲酒について話し始めます。それは、あ なたの中にある古い感情の引き金を引くでしょう。そのときあなたは、自分がアルコール依存症であることからどれほど遠くまで来たか、本当に見ることができ るわけです。それはよい学びです。そしてそれは、他の人を教えるために使うことができるものです。
危機は、あなたの人生を変える素晴らしい機会です。私はいつも人びとに、自分の夢を実現するよう勇気付けます。いったん自分の過去を終わらせた ら、彼らは自分が夢中になれることに向かっていき、未来を築くことができます。
わたしは、何であれ彼らが人生でやりたいことを、できる限り長くすることが できるようサポートを惜しみません。