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SAMASATI the art of witnessi

 

気鋭の新進アナキズム研究家の栗原康さんの「仏教アナキズムの詩学 一遍上人の踊念仏論」被爆社会年報 現代理論研究会編 新評論 にサマサーテイー瞑想にぴったりの文章があったので紹介します。   「三・一二以降、わたしたちはこれまで社会的に有用とされてきたものを信じることができなくなっている。もはや将来のための直線的時間はありえなくなって いるし、科学的専門性もうのみにすることはできない。そもそも放射能が安全だという専門家にたいして、なんの疑問ももたないひとなんていないだろう。しか し、リアクションはひとによってまちまちである。根拠なんてなくても、過剰なまでに放射能の安全性を信じこもうとするひともいれば、遠い将来があることを 信じ、エコ社会のために自分の身心をやくだてようとするひともいる。たしかに そうしなければ死を意識してしまうのだろう。だが、死から目をそらさずに、不安を不安としてうけとめることで、みえてくることもある。無限にひらかれたい まこのとき、踊り念仏がおしえてくれるのは、たえざる不安こそがその入り口だということだ。あらゆる負債をうち捨てて、自分が極楽にいるかのようにふるま うこと。なんであれかまわない存在になること。大人としての責任とか、倫理だとか、そんなことはもう関係ない、自由だ。黄金を抱いてとべ。ひとはみな極楽 の住人であり、いまここにある黄金の盗人である。」栗原康

 

 

★★★サマサーティー瞑想は、311以後を生きる日本人のために、ビレッシュからプレゼントされた素敵な贈り物。この島に住むすべての人が少なからず負った原発災害の傷を癒し過去現在未来の人生すべての瞬間を感謝して生きる道を教えてくれます。(参加者の感想より)

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