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ヒューマニバーシティーのエッセンス(本質)

 

もしあなたが、お腹をすかせた誰かに魚を与えれば、彼らは感謝し、幸せになるだろう。もしあなたが、つりざおの作り方を教えてあげれば、かれらは魚を手に入れる方法を知るだろう。ヒュマニバーシティのセラピストは、このつりざおのエッセンスのようだ。



 OSHO は以前私に、セラピーとは愛のはたらきだと言ったことがあります。私に言わせれば、世界でもっとも古い仕事は、売春婦とセラピストだったのではないでしょ うか。売春は、そのはじまりの時には、経済問題を解決するための喜びをともなった方法でした。

 

 セラピストは、母親や父親が、かれらの子供を思いやる時には じまります。自らの存在と、愛、生き方を通してあなたに向き合う人、それはあなたを変容させる人です。もしあなたがセラピストを探しているとしたら、それ は恋人を探すのと同じことです。

 

 セラピストは生きた愛のはたらきであり、彼や彼女が人生でなすことはすべて、人類に対する思いやりの表現なのです。セラピ ストであることの責任とは何でしょうか?

 OSHOはかつて、悟りを開いた人たちだけがセラピストになることができると言いました。私自身の経験から言うと「悟りを開く」という言葉は重過ぎます。もしもあなたが愛を感じるなら・・・それで十分なのです。

 私のセラピストとしての土台は、父です。彼は私に、たとえば「人前ではトイレに行ってはいけない」というような人生の基本を教えてくれました。彼と出かけ る時には、前もってトイレに行っておかなければなりませんでした。彼は私に、ある世界観を教えてくれました。父のほかの一面としては、私を恐れさせるほど の、圧倒的なまでに情熱的な愛がありました。もし誰かが私を傷つけようとしたら、父は命を懸けるだろうということを私は知っていました。その愛は、私を恐 れさせるほどでした。彼は本当に私を愛していたのです。

 

 ヒュマニバーシティのセラピーとは、より良い世界のために人々にはたらきかけ、自分のハートを開い て世界中の誰とでも友情(フレンドシップ)を育みたいのだと決意する、ということを意味しています。

 すべてのセラピーのゴールは、友達になることです。OSHOは私に、私がOSHOと友達になることができるまで、忍耐強く、一歩一歩、そのことを教えてくれました。

 内側を探求すればするほど、自らのビーイングに至ります。それは神秘です。外側の世界を探求すればするほど、その探求も永遠だということを知ります。だか ら、あなたは永遠と永遠の真ん中にいなければなりません。両方のポイントに達した時、自分が友情の橋であることを知ります。友情が答えです。

 

 友情があれ ば、どんな戦争も存在しません。友情があれば、どんな汚染も存在しません。友情があれば、私たちは、世界に滋養を与えることができるのです。あらゆる問題 は、友情によって溶けてしまいます。友情はあなたや、あなたの家族、この惑星の問題を解決する鍵なのです。

もし友情を深める方法を知りたいなら、ハートから愛することをはじめてください。今いる友達を愛し始めてください。私たちの助けを必要としているこの惑星を愛し始めてください。

 このワークをこれほど長くおこなってきた今、もし誰かが私に成功した事例について教えて欲しいと言うなら、すぐにバンティという名の女性のことを思い出し ます。彼女はイギリスに暮らしていて、若い頃から精神病院に入れられていました。長年にわたって何とかそこを生き抜き、ついには施設の一員として庭師にな りました。病院は、これ以上彼女に何かしてあげられることがないかと思い巡らせた結果、私のところへ送ったのです。

 

 ロンドンのすばらしいこの病院が、絶望 的なこの患者を送ってくれたという栄誉を思い出します。彼女の名前はバンティでした。彼女は、通りを歩いていたら、すばらしい気持ちになってきて、スキッ プをしはじめ、その気持ちに身体がのっとられてしまったと話してくれました。

 

「分かりました。喜んであなたにワークしますが、代価に何を支払ってくれます か?」と言うと、「私は美味しいマーマレードジャムが作れるわ。毎週二瓶のジャムを持って来られます。」と彼女は答えました。私は今まで食べたことのある ジャムの中でマーマレードが一番嫌いだったのですが、それが私に与えるられる彼女なりのやり方なのだということは理解できました。だから私は言ったので す。「約束だよ。」

 私たちは一緒にワークし、彼女は生まれて初めて愛をもって自分の身体に触れるということを学びました。彼女は60歳代でしたが、今までそうしたことがなかったのです。私はバンティーに同情します・・・私が連れて行ってあげられたのはそこまでだったからです。

 人と出会う時にとることのできる基本的姿勢が4つあります。戦うこと。逃げること。ただそこにいるだけで何もしないこと。あるいは ―相手に近づいていくこと。

 

 ヒュマニバーシティセラピーとは「人に近づいていく」ということです。私には、あなたに近づいていく以外の選択肢がない。私が あなたに向かっていき、あなたも私に向かってくる時、二つのハートには出会うチャンスがあります。愛が私たちの間でダンスします。存在は喜びの歌を歌いま す。神も幸せです。私たちはひとつなのです。

愛がアクション(行為)になるとき、生は驚くべきものとなる。
マインドは裸になり、ハートが輝きだし、

セラピーという言葉など忘れ去られてしまう。

愛は理解されるようなものではない。愛は感じられ、経験されるものだ。
愛には限界がない。愛だけが唯一の癒しのちからだ。
愛があれば生きるにあたいし、愛のためならば死ぬこともできる。
愛はすべてを変容してしまう。
愛は神だ。愛こそがあなただ。

 セラピストであるということは、なんてすばらしい方法なのでしょう。あなたは「こんにちは」と言い、彼らも「こんにちは」と返します。そして一緒に感動し ます。

セラピストであるということは、コミュニケーションし、つながり、お祝いし、愛し合うための口実のようなものです。

 

 最初のうち、私は失敗することを 恐れていました。それから、鍵を発見しました。鍵は、プランを組立て、体系を作り出すことにはありません。人々があなたのハートを満たしてくれることを知 り、自分の旅をする勇気を持つことなのです。それは体系などではありません。計画などではありません。何度もくりかえして自分自身であるという機会なので す。それがセラピストというものです。何も何度も自分自身を再発見することです。

 私の人生における一番の喜びは、人々に羽を広げて飛ぶ方法を教えることです。「これが私が学んできたことだ。あなたに見せよう。」と言い、そして彼らが飛 び立つ準備ができた時には、そこにいて、「さあ、行きなさい。飛び立ちなさい。あなたがこれから何をしようとも、あなたのことを愛している。」と言うこ と、それは私の人生においてすばらしい贈り物です。

 OSHOはかつて私にこう言いました。「世界はセラピストを必要としている。なぜなら世界にはあまりにも愛が欠如しているからだ。そして世界が十分な愛を持つことができたら、もうセラピストは必要ではない。ということは、私たちは失業するために働いていることになるね。」

 

私たちは、ごく短い時間、この惑星に、ゲストとして招かれている。 私たちは、可能な限り全面的に生きる機会を与えられている。だから、その上でダンスするためにこの地球を私たちに与えてくれた存在に感謝しよう。私たちが今日分かち合う愛は、未来の世代に引き継がれる愛だ、と私は信じている。

 ビレッシュによるヒューマニバーシティーの原理

 

 

 

 

 

 

あなたはただそのままのあなたで、愛すべき人だ

 

 混 乱したときはいつでも思い出しなさい。「私は誰だ?ああ、ビレッシュが言っていた。私は愛すべき人だ。」常にそれを思い出して。あなたが見失ったとき。あ なたは愛すべき人だ。あなたはそれを信じなければならない。

 

 そうじゃないと、あなたはネガティブなトリップをしたまま残りの人生を過ごすだろう。あなたは 良くなろうと試みる。より良いことをする。自分を改善する。そして他人のリアリティをくっつける。

それは内側から始めなければならないことだ。

「私は良い人です。そして私は愛すべき人です」

 それが基礎のラインであなたが学ばなければならないことだ。

 

 あなたの両親はあなたを好きじゃないかもしれない。関係性においてあなたは好かれていないかも しれない。地元の友人たちはあなたのことを好きじゃないかもしれない。理由はあなたが十分にいい人じゃないから。あなたは正しい服装をしていない。おかし い口ひげを生やしている。変な髪形をしている。全てが間違いだ。そして忘れないでほしい。

あなたは愛すべき人だ。

あなたがそれを忘れたら、全ておしまいだ。(ビレッシュ)

受け取り与える  

 

怒り-痛み-愛の必要性

 4つの基本的な感情があります。恐れ、怒り、痛み、そして愛(の必要性)です。これらはまた「サバイバルの感情」とも呼ばれます。怒り-痛み-愛の必要性。恐れと怒り(「否定的な」感情)は、愛の否定の時経験される、感情的痛みに対する反応です。

 ビレッシュは、否定性に巻き込まれないことの重要性を強調します。むしろ、満たされない必要性-愛への直接の近道です。(セッションの中で)否定性を表現 することによって、愛が起こるためのスペースが作られます。

 

 人が、愛を受け取ること(最初の必要性)と、愛を与えること(2番目の必要性)を学ぶ時、彼は 自己愛(セルフ・ラブ)を経験するでしょう。一部の人達は権利を持っています。彼らが育った時、彼らは自分の感情について決して何も問題がありませんでし た。なぜなら彼らの家族がそれ全てを奨励していたからです。

 

 普通、家族はあなたの感情について幸福ではありません。だから彼らはそれをとめ、そして、あな たは、サバイバルの感情に関して自分を再教育するためにこのような学校に来なくてはなりません。

健康な人間は、彼がそうすると決めるどんな瞬間にも、彼の怒り、彼の痛み、彼の恐れとそして彼の愛を感じることができます。人々は一般的に、彼らの感情に 触れません。彼らはいつも表層にいます。感情的であることは、良いように見えません。それは弱さの証拠です。もしあなたが怒りを表現するなら、あなたは受け入れられません。

 もしあなたが傷ついたというなら、人々は狼狽します。あなたが「私はあなたを愛している」という時、人々はさらにもっと狼狽します。

 

 あなたが恐れ、怒り、 痛み、そして愛を切り離す時、あなたがすることができることの全ては役割です。あなたは敵になります。そして、再び基本を学ばなければなりません。あなたは、恐れていて、それをトータルに経験することは問題がないことを経験しなければなりません。

 もしあなたがあなたの恐れの中にトータルに入るなら、あなたは恐らく怒りと激怒を経験します。怒りと激怒を感じることは問題がありません。

 

 もしあなたが トータルにそれに入っていくなら、いつでもあなたは痛みに行き着きます。もしあなたがトータルにあなたの痛みであるなら、あなたはいつもあなたの基本的な 必要性に行き着きます。:愛です。

 

 食べ物、睡眠、空気、住みかのような外側の必要性があり、そして感情的必要性があります。あなたはこれらの必要性を、人 として感情的に生き残るために満たさなければなりません。もし赤ちゃんが撫でられ、愛されなければ、彼はトータルな人になりません。

ナンバー1

あなたは愛される必要があります。それはあなたの所に最初に来なくてはなりません。小さな赤ちゃんは、愛を得るために踊ることはできません。それは無力です。あなたは、最初に愛を必要とします。それが私達に家族がいる理由です。そして彼らはあなたにそれを与えることができます。

ナンバー2

あなたは愛を返す必要があります。

ナンバー3

 愛を受け取り、愛を与え、愛を受け取り、愛を与える、そのプロセスはあなたに自己愛(セルフ・ラブ)を与えます。自己破壊ではなく、自己嫌悪ではなく、自己愛です。

 

 あなたは愛らしい人、愛することができる人になります。それらは、三つの感情的な必要性です。もちろん、あなたは自動車や、他の全ての、外側の 物を必要とします。しかし、それらの感情的な必要性が満たされないなら、あなたは完全な人間にはなりません。

 

 一部の人達は、いつも受け取る必要がありま す。それから後で、多分 彼らは与えるために来ます。一部の人達は与えることが好きで、そして彼らは受け取りたくありません。

 

 受け取る、与える、与える、受け取ることのバランスは、あ なたに自己愛(セルフ・ラブ)を与えます。それが、私達がハグするように、デートするように、実験してみるようにあなたを励ます理由です。

 

 そして、あなた は、愛されること、愛を与えること、そして自己愛を感じることの、これらの基本的な感情的必要性を満たすことができます。やがて、ある日、あなたは立ちあ がって言うことができるでしょう。


「私は愛らしい!私が彼の地上にいて、神は幸運だ!」と。(翻訳 Ma.Anand Abhaya)
 

 

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