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再開

最近あることがあって、改めてACTについて研究しだしている。マインドフルネス瞑想が流行ったり、あるいはディズニーの新作映画「インサイド・ ヘッド」や邦画(原作マンガ)「脳内ポイズンベリー」(いずれも未見。七月公開)が流行すれば、頭の中の思考や感情を外在化して、非同一化することに多く の人が興味を持つかもしれない。実際に十代の若い子で、そういうことに感心のある人に出会って思うところがあった。

マインドとの非同一化は、第三の目の活性化によって起こることだが、世界的に微細なエネルギーに対しての気づきが増さざる得ないような振動数が上昇してる こととも関係あるだろうし、粗大なエネルギーからの乖離とも関係あるだろう。この世界に脚を根ざして生きていたくない傾向とも関係あるだろう。やみ雲にマ インドからの非同一化を目指すと、多重人格的な危ないことも起こりうる。

よく例える例えだが、人間を七階建てのビルに見立てると(七つのチャクラシステムで考えると)一階で地震が起こり大地がグラグしていて(第一チャクラが機能していなくて、肉体に気づきがなくて)二階で水漏れしていて(感情の問題) 三階で火が消えて(パワーの問題)いる時に、四階五階の屋上に登って、なぜ水が漏れているか分析したり、空を見上げて星がきれいだと思ったりしても、水漏 れも火事も収まりはしないのだが、そういうひとが多い。そういう精神的なひとが、精神から離れようとするから、さらに乖離現象が起こる。

アプローチ的にはエッセンシャルライフ・コンサルティングのマインドセットから自由になる方法のように、まずハートで感情とひとつになって感情をヒーリン グしてから、感情が透明になったら、その感情の元になっている思考や信念から距離を置くアプローチが間違いないと思うが、マインドに同一化しないというこ とが多くの人の関心に浮上してきた潮流は喜ばしい。

しかし、それはある種の危険も伴う事例に最近遭遇して、最初の話に戻るが、もう一度ACT(アクセプタンス・コミットメント・セラピー)の勉強をしようと 思う。悟りや成長のための瞑想でなく、癒しや治療のための瞑想は本腰入れて探求してこなかった。浅いレベルに関心なかったのだが、浅いレベルで悩んでいる ひとが多いのだから、必要なことだと思う。

話は変わるが、数年前から流行らしい「こころやじんのすけ」さんと言うのもまったく関心なかったが、自分のことというよりひとのことに置き換えて読んでみると、なるほどこれは救われる人が多いだろうなあ・・と思う。

有名な「どうせ愛されているし」という呪文が、マインドの置き換えでなく、存在のレベルで自分にOKを出すことをサポートしているのなら、すばらしいこと だし、それは自分を変える上でも大前提として必要なことだ。瞑想体験なしにそういうことが起こるのかどうか知らないが、本当に起こっているのならすばらし いことだと思う。

存在のレベルで自分にオーケーを出して、深いところの価値を感じることにコミットして、そこから行動をすることをサポートして、それを邪魔する表層的なマ インドの層には気づきを持って距離を持ち、巻き込まれない。マインドの奴隷にならず、友にもならず、しかし敵にもならないアプローチとして、ACTの構成 は上手に考えられている。

結局はOSHOの下で開発されたOSHOのセラピーの様々も、目指すものは同じベクトルだっとも解釈できるし、個々のテクニックはもっと洗練されたものを 学んできた。例えばセドナの和尚アカデミーに何度も通って学んだ「サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ」は、僕にとっては、瞑想の何たるかを体験する画期的な ものだったが、その洗練された形がエッセンシャルライフ・コンサルティングだとも言えなくもない。

しかし「サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ」は偽の中心に気づくことに力点があって、じゃあ本当の自分は誰なんだろう?というところに連れて行く、瞑想者のためのコースだった。

僕は「WHO AM I?」と一週間朝から晩まで問いかけるグループを受けてサニヤシンになったとも言えるが、それから十年間は、瞑想はクンダリーニ瞑想 やダイナミック瞑想などエクササイズのように取り組み、あとはとにかく好き勝手生きるのが瞑想だ!とぐらい考えてた。十年目にサイコロジー・オブ・ザ・ ブッダを受けて、初めて瞑想を体験して、もう一度自分は誰か?の探求の旅が始まったともいえる。

意識の表層の思考や感情や信念や人格や役割に同一化してしまって(それを偽の中心と呼ぶ)いることに気づいて、そこから離れれば自動的にもっと本質的な自 分や中心に至るかと言えばそんなに簡単でもなくて、そこから悪戦苦闘の五里霧中の旅が始まることは、例えばサニヤシンになった頃を思い出してみると理解で きる。マスターと友と先生がいたからやってこれたが、ひとりだったら大変なプロセスだと思う。

であるからして、最初の文章に戻るのだが、マインドフルネス瞑想が流行り、多くの人の関心に思考や感情から非同一化しようという傾向は喜ばしいが、安易に すれば危険も伴うというよりも、危険に遭遇するよりも早く、マインドから非同一化する旅に出るのは、すぐに中断してしまって、もとに戻りたくなるだろう。 どうしたらこのマインドに気づこうとする新しい芽を育てていけるのだろう?

僕にとってはエッセンシャルライフ・コンサルティング(の考え方と実践)やもっと一般の方にわかりやすいようにACTの考え方で戦略を組み立てることが助 けになるのではないかと思う。瞑想者にとってはマインドに気づくこと自体が、マインドに気づくことへの(気づきを拡大することへの=瞑想をすること)への 動機になるだろうが、もっと一般の人にとっては、自分にとって価値あることを実現するために、瞑想するほうがしやすいだろう。

そして強みを生きることが橋になるかもしれない。

いずれにしろアクティブ・メディテーションから入るか、ハート瞑想から入れば間違いはないと思う。だから結局は今までずっとやってきたことと同じ展開になっていくのだが、ACTをもう少し研究するために何ヶ月か止まっていたブログを再開します。しばらくはまた文献からの引用が中心になるだろうが、自分なりのアプローチとプログラム作りに役に立てたい。


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つじもとひさし(VIJAY)
Counselor/Therapist
& Meditation teacher

私はカウンセラー/セラピスト/瞑想ティチャーとして25年以上ワークをしていて、それ以上のもっと長い間、人間意識の向上について研究してきました。

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私がしているエッセンシャルライフ・コンサルティング(ELC)の本です。このブログで紹介しているACTのより洗練された形と言えるのではないか、と思ってます。言い方を変えれば、ELCをより一般向きに、問題を抱えているひとに向けて、少しやり方を変えれないかと思って、ACTを研究しています(V)

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