ACTの三つの自己
ACTでは3つの自己を提示する。「概念としての自己」「プロセスとしての自己 」「文脈としての自己」である。以下は、「アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈」ブレー ン出版より。
概念としての自己
「簡単に言えば「私は‥‥である」のように自己に対する固定観念のことで、 ACTは概念としての自己に縛られると(認知的フュージョン)、精神的苦痛を生む と唱える。
例えば、「私はうつ病だから」という教示は「自己=うつ病」という双方向性か ら、「うつ病」という言語刺激が持つネガティブな評価機能を自己にもたらし、 個人を自己嫌悪の世界に引きずり込む。
言語を巧みに操る人間ではこの言語プロ セスが自動的に起こり、自己概念への囚われが起こるのである。」
プロセスとしての自己
「今、この瞬間」は刻一刻と変化している。この変化の中で何かに囚われる ことは、この瞬間の実体験から遠のくことを意味している。・・・ 簡単に説明すれば、プロセスとしての自己とは東洋の瞑想法で見られるように意 識に浮かび上がる事象に囚われることなく(評価、自己と同一視することなく) 、一つ一つ受け流していく行動プロセスのことである。」
文脈としての自己
「他の健康なプロセス(e.g.,アクセプタンス、デフュージョン)をさらに促進 するともう一つの自己体験がある。ACTはこの自己体験を「観察者としての自己」 、「超越した自己」とも呼んでいる(Hayes et al.,1999)。
「文脈とし ての自己」とは自己を苦しみとしてではなく、それが起こる「文脈」として体験 するプロセスである。自己を私的事象が起こる場(locus) として体験する ことにより、クライエントは自己と私的事象との明確な区別を経験し、これ により私的事象への過剰な反応、囚われ(認知的フュージョン)の減少、アクセ プタンスの促進が起きるのである。 」