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サイコロジー・オブ・ザ・ブッダの本を販売中。
お待たせしました。瞑想に関心がある人はぜひ買ってください。 ペーパーバック(紙の本です)、電子書籍もあります。パソコン・携帯等で持ち歩くのには良いかもです。カラー写真が2枚付きます。あと読むのが面倒な人には、パソコンや携帯の音声ですが、音声で聴けますよ。マインドに気づいて、それをそのままにする時、恩寵がやってくる。かつてセドナにあったミステリー・スクールの体験記。秘教科学者の元で経験する魂の冒険譚。
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辻本恒Vijay`s Biography
◼︎1957年 誕生から子ども時代・・・東京のど真ん中で育ち、いつもやることが新し過ぎて、ミス・フィットとして生きる。その後インドやアメリカなど各地でセラピーや瞑想を学ぶ。神戸には長く住んでいる。やっと最近、時代が近づいてきた。
「 大部分の人たちが行く道は楽だが僕たちの道は苦しい
――でも、行こうじゃないか。」デミアン(ヘルマン・ヘッセ)
1977年以降・・・十代、二十代は・・
遅れてきたドロップ・アウトとカウンターカルチャーの時代
●十代半ばにして、カウンター・カルチャー(対抗文化)と、ヒッピー・ムーブメント、そして、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間性開発運動)に出会う。(ただしムーブメントとしては、60年代後半を過ぎて、もはや退潮期に入っていた)
早熟で、遅れてきた少年は、ビート詩人やボブ・ディラン、アレクサンダー・テクニックを日本に紹介した「片桐ユズル」氏や、部族の「山田魂也」「山尾三省」など日本ヒッピーの草分けたちとの出会い、南の島のコミューンに住んだり、戦後の市民運動の影の立役者で詩人のアナキスト「向井孝」さん等と共に、反戦や脱原発に自由に取り組み、都会でのエコロジー運動の最も初期のいしずえを創り出す。
また、「平和のための非暴力トレーニング」を教えるなかから、精神療法と瞑想の可能性に目覚める。
●もうひとつの生き方のためのフリー・スクール「神戸エンカウンタースクール」を宮崎隆ら仲間と主宰する。映画会や講演会、音楽会、読書会、瞑想教室、など、さまざまな文化活動を行う拠点として、「神戸エンカウンタースクール」は、八十年代の関西での対抗文化(カウンター・カルチャー)の砦だった。
気功の津村喬や演劇レッスンの松井洋子、自由ラジオの粉川哲夫、山田塊也、山尾三省、片桐ユズル、向井孝、高島洋ら他、有名講師も多数招いたが、基本は「素人の素人による素人のための場」だった。全国からその趣旨に賛同する会員を募り、場を維持した。(エンカウンタースクールの名前の由来は、カール・ロジャーズの開発したエンカウンターグループが、この場所の要だったから。このときのファシリテーターの経験が、今でもVIJAYのセラピーの基礎になっている。
また、ブーム以前で、誰もまだ知らない無農薬野菜の路上販売も行い、「就職しないで生きる」もうひとつの道を探った。(「就職しないで生きるには」訳者の中山容も、野菜の倉庫替わりにも使われているエンカウンタースクールにやって来た。
●また、エンカウンター・グループや、演劇セラピー、こころとからだの出会いのワークなどを提供し、またゲシュタルト・セラピーや、バイオ・エネルギー・ワークなどの心理療法訓練を学び、独自の視点でのワークショップを各地で行う。 .
--- 我々はどれほど多くのフリースペースで、
路上で、草原で、車座になり希望を語り合ったことか---
◼︎1987年以降・・・インド・プーナ。30代は・・
インドに通いセラピーと瞑想を学び、
日本で分かち合う繰り返しの時代
●プライマル・セラピーのスッダの出会ったことをきっかけに、20世紀最大の神秘家「OSHO」の下での瞑想と精神療法のための学校「OSHOマルチバーシティ」に通うためにインドに滞在し、ありとあらゆるセラピーと瞑想を体験し、セラピストとしても学ぶ。十年以上もの間、インドを訪問して、人間意識の成長のための技法を習得する。カウンセラー・トレーニング、ボイス・ダイアローグ、ライヒアン・ワーク、ブレス・セラピー、エナジーワーク、カラーパンクチャー、キネシオロジー他など多種多様。 ミステリー・スクールのワークを多数。ほどんどのセラピー・トレーニングを修めた。最後は、アート・スタジオで絵を描くき、ビパッサナ瞑想に励む。ミスティック・ローズ瞑想、ポーン・アゲイン瞑想、ノーマインド瞑想の、OSHOが考案したメディテーション・セラピーもそれぞれ数回体験。
●日本では、神戸・大阪・京都・東京などで、セラピー・グループ、ワークショップを行う。特にインナー・チャイルド・ワークや感情解放のワークと瞑想の統合を目指す。
●和尚の主治医のひとりだったデバギートから、アカシック・トゥース・リレーを受けて、動物時代の過去世を癒す。その前に受けていたトランスミッターリレーとともに、強烈な変容体験をする。
●さまざまな悩みを持った人たちに、カウンセリングや個人セラピーのセッションを行う。佼成カウンセラー養成講座や京都精華大学の講師を勤める。
●共著で「精神療法と瞑想」「ボディワーク・セラピー」「ウーメンズ・ボディ・ワーク」(いずれもJICC出版)などを記す。(いずれも絶版です)
●「OSHOマイトリー瞑想センター」を主催して、十年以上もの間、月に一度と毎週の「OSHO瞑想会」を続け、のべ何千人の多くの人の意識変容に貢献する。
お誕生日会から、醤油の貸し借りまで、最盛期は30数人が近所に住む瞑想コミュニティーとして、愛と友情を育む。まるでホビットの冒険のような日々。
●また海外から、プライマル・セラピーのスッダやサイキック・マッサージのサガプリア、ハート瞑想のワドゥダ(現リーラ・ELC創始者のひとり)や、数秘学のマンガラ、タントラのラダなど世界的に有名セラピストの多数を招へいする。年に数回の合宿ワークショップ、グループ、イベントを十年以上開催する。
●「OSHOと過ごしたダイヤモンドの日々」の著書シュンヨとミュージャシャン10人の大所帯を招いて、神戸で三百人規模のセレブレーションを企画立案・成功。ゲストのひとりの天河神社の柿坂宮司は、「神の戸が開いた」と述べたが、その半年後に神戸大震災があり、無事だった自宅は一時仲間の避難所となる。
◼︎1997年以降・・・アメリカ・セドナに。
40代は、ハート瞑想との出会い、
そしてセラピスト全国行脚の時代
●アメリカ・セドナの瞑想の学校・和尚アカデミーで「サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ」を学ぶために、数度にわたり渡米。マインドから非同一化するための瞑想のエッセンスと、生き生きしたエネルギーと、空っぽなスペースに、同時に気づきをもたらすことで変容するというヒーリングのエッセンスを学ぶ。
また、チャクラとサトルボディの理解を深めたことから、よりエネルギー的なアプローチとなっていく。
以後約十年以上、アメリカとの電話のクラスやワークショップに関わりながら、ハート瞑想を基礎にしながらのヒーリングを学び続けて、現在に至る。
●セドナで、愛の神秘家カヴィーシャに捧げられたユニオミスティオイルの創始者ミスティカより、日本で唯一のトレーニング・ティチャーとして認められる。
●セドナで、プラサード(ELC創始者)とアカデミーチームによりメタ・フィジカル・サージェリー(形而上学的手術)を受けて(サトルボディヒーリングを数人がかりで行う強烈な方法)、人生が大きく変容する。
その後、神戸、大阪、京都、奈良、東京、四国、富山、沖縄などの日本各地で、カウンセラー・トレーニング、セラピスト・トレーニング、ユニオミスティ・セッションギバー・トレーニングなどを行う。
気づきのピーク体験としての観照意識を体験するためにプラードから「瞑想の宝」に招待される。サンフランシスコに居た親友のプレム・コマラが通訳をしてくれる。
●それとは別に、教育問題に関わる神戸賢治の学校の講師。神戸賢治の学校解散後は、「ラブ・アンド・アウェアネス・クラブ」として、ワークを継続する。
●「ミスティック・ユニオン(神秘家の組合)という名前で、同僚のAbhayaと共に月に一度の定例ワークショップや毎週の夜のセラピー瞑想クラスなど、さまざまな活動を行う。
新しいヒーリングの方法「サウンド・レゾナンス」を学び、色と音、チャクラとサトルボディの関連を研究し、またチベット仏教のアティーシャの教えに基づいたワークショップも一年以上続け好評だった。
2006年以降・・・50代は、聖なる地球の瞑想・・・
●サトルボディ・ヒーリングの第一期生として、ハートからのヒーラーとして新生する。
神戸・芦屋から苦楽園にセッション・ルームを移し新しい活動を開始する。
●フリー・チベット支援のためのピース・ウォーク(約500人参加)を主催することを期に、社会変革のための活動を再開する。
「世界同時:OSHOナダブラーマ・メディテーションTune with TIBET 関西」を主催する。
●ニューヨークのレーリッヒ美術館にて、「アグニ・ヨガ」と「エルモリアの教え」に出会い勇気付けられる。(この数年前にいつかレーリッヒの絵を見ることを強く願った)
●世界一のセラピストを養成するオランダの成長センター「ヒューマニバーシティ」の代表セラピスト・ヴィレッシュの来日を応援。
「ピース・メディテーション」を日本で広めることを推薦され、広島など各地で平和のための活動を行う。
愛が道であり目的であることを理解する。
●2010年ビレッシュの三回目の来日ワークショップを主催し、「ヒューマニバーシテイ・ジャパン」の名を預けられる。
●ハワイ島やマウイ島、宮古島などのヒーリング・アイランドにて、内なる自然と大自然のつながりを強めて、リラックスを深める。2011年7月4日、明石でのワークショップの帰りに猫を拾う。
●2011年3月11日の大震災後、東京よりいち早く避難者を受け入れ、二日後には緊急無料瞑想会を開催。21日間限定瞑想スペースを設立。毎日の瞑想と連続講演会などを企画し、内田ボブ、シャンタン、中尾ハジメなど、日本のアンダーグラウンド・ムーブメントのそうそうたる顔ぶれを招いて英気を養った。
●阪神大震災の前から試みているジョアンナ・メイシーのワークを瞑想的にアレンジし、ビレッシュの「聖なる地球の瞑想」や「ピース・メディテーション」と合わせたイベントを、東京、神戸、広島など日本各地で行う。
●2012年は、脱原発運動が再稼働して、大阪関電前、大飯原発前、国会前行動などに参加。広島で平和の集まりを呼びかける。
●今までの人生の探求の集大成としてエッセンシャルライフコンサルティングに取り組む。内側と外側の旅。
出口王仁三郎のヤシャ孫であり大本の六代目教祖である出口春日さんに出会う。同じ1月19日の命日日に、OSHOと王仁三郎の月命日祭りと名乗って、EVENTを行う。大本教の地綾部から玉置神社まで、26回も各地の神社を巡る。
芦屋のトルコ料理店の二階に、ドストカフェという名のスペースを持つ。バーカウンターもある不思議な場所で、様々なEVENTを行う。一年ほどで閉鎖したが、電車の騒音を聞きながらの瞑想会は味があるもので、瞑想後に珈琲も出した。
福岡 広島 名古屋 東京など各地でワークを展開。2013年、ハート瞑想ティチャーとなる。
福岡の精神科医院で、ハート瞑想をガイドする。
2016年、マインドフルネス・ブームに先駆けて、研究ブログを作る。
2017年以降・・・シンクロシティの流れに乗る六十代から・・
苦楽園から甲陽園に転居。それをきっかけに夙川で毎週木曜日に瞑想会を再開する。沈黙と無心を体験するためにチャクラジベリッシュ瞑想を毎週する。夙川の防音室を二年続けたあと、昔から馴染みである芦屋市民センターの幼児室で瞑想会を継続する。
ハート瞑想ティチャーを経て、チャクラ・EVENT・ティチャーとして活躍。2019年、ユニティ・インスティテュートの講師として、オーラソーマのコララとWSを開催する。瞑想会の仲間と、サトルボディ(ヒーリング)研究会という名前で、本の読書会+エクササイズ体験会+瞑想会=研究会という新しいWSの形を模索。約一年間続き、現在は悟りのシンクロ二シティ研究会として継続中。その仲間たちと宮古島シンクロ二シティの旅へ。
2020年以降・・・コロナ自粛の波に乗って、オンライン化の波に乗る・・・
OSHOクンダリーニ瞑想を21日間オンラインで行い、毎日80人から100人が参加する。
多くの新しい人たちと出会い、自粛後もオンラインでたくさんのワークショップを展開。
2020年6月、Osho`s オンラインサロンを開講する。
2021年、Amazonで電子書籍を販売。「体は簡単には許さない 瞑想ティチャーが語るチャクラの裏と表」、「自由を生きる推薦図書 瞑想ティチャーが選ぶ波動の高い本とは?」、「ゾルバかブッダか? 新しい人間性はどこから生まれるのか」、「厭わしい気の病からの脱出 中島敦 悟浄出世 (注釈付き)」、「トータルを生きる 中島敦 悟浄嘆異(注釈付き)」の5冊を次々に発売する。Amazonで販売中。
2022年3月21日、サイコロジー・オブ・ザ・ブッダ瞑想のエッセンスの本を販売中。
お待たせしました。瞑想に関心がある人はぜひ買ってください。 ペーパーバック(紙の本です)、電子書籍もあります。パソコン・携帯等で持ち歩くのには良いかもです。カラー写真が2枚付きます。あと読むのが面倒な人には、パソコンや携帯の音声ですが、音声で聴けますよ。マインドに気づいて、それをそのままにする時、恩寵がやってくる。かつてセドナにあったミステリー・スクールの体験記。秘教科学者の元で経験する魂の冒険譚。
112のタイプの瞑想
112の瞑想について、朗読するホームページが出来ました。故サンデンシュの音楽を主に背景として、OSHOの解説を朗読してます。僕にとってトランスミッションできた瞑想もあれば、僕と全然関係ないものもありますが、全ての人に役立つように、一応完成しました。全てフリーで聴けます。ハート瞑想も一つ入ってます。 OSHO VIGYAN BHAIRAV TANTRA 112