音素を細切れにする
「ジベリッシュは、あなたのマインドをきれいにする最も科学的な手段の一つだ」とOSHOは言います。 ジベリッシュは意味のないナンセンスな声をたてることです。ジベリッシュで話すことは、自分言葉をつくるようなものです。ナンセンスな声をたてて、体が混沌とした動きをすることを許します。この表現の形が、あなたが持っているマインドの傾向を維持する普段の言葉化のパターンを破る助けになります。
言葉は二つのものからできています。たとえば「私は悲しい」という文はまず、「私/は/悲しい」のように形態素に分けられます。(品詞ごとにバラバラにできる=第1次分節) 次いで、それぞれの形態素は、「わたし」が / wa,ta,shi / に分けられるように音素に分解できる。(その言語の、発音できる最少単位=音素。これ以上分けて発音することはできない、という単位=第2次分節)
これは言語学では二重分節性と呼ぶようですが、ジベリッシュでは、この音素をバラバラにすることで、言語化のパターンが壊され、それによって形成されていたマインドの傾向を保ち続けることがむずかしくなる。
WA,TA,SHI,WA,KA,NA,SHI,I を例えば、KA,WA,SHI,NA,TA,I,WA,SHIとジベリッシュする。「かわしなたいわし」となると何のことか意味がなくなる。さらにその音の高さ、低さ、早さ遅さも変えれる。