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10分間狂ってみる

昨日はチャクラジベリッシュ瞑想と2ラウンドした後に休んでから、シェイクをして、ハート瞑想の予定だったのですが、シェイクしてたらやる必要を急に感じ て、狂気のジベリッシュをしました。自分の中の狂気につながる・・狂うことへの恐れの根源は「一人になることへの恐れ」だという話を、みんながシェイクし てるときに大声で伝えて(叫んで)そのまま10分間の狂気に突入。其のあと少しだけハート瞑想。終わって放心状態で外に出たら、ものすごく煌々と輝く満 月。う~ん。それでだったのかな。しばらくみんなで月を眺めてお喋りして、僕はそのまま温泉に行きました。気持ちよかった。頭の芯のところで何も考えてな くて、表層でもやもやとかすかに思考がとりとめもなく動いているのを感じながらお湯につかるし、いつものバターンも破って水風呂にも。このままやっていくと、沈黙というものがわかりそうな予感。ものが考えられなくなりそうで、怖い感じもすが、沈黙を信頼しよう。沈黙から知性が生まれてくるはずだ。来週はマイクを持っていこう。VIJAY

OSHO 狂気への恐怖

狂っていく恐怖は、あらゆる人たちの内にある。彼らの知性が発達を許されてこなかったという単純な理由からだ。既成の社会にとって、知性は危険だ。 だから何千年もの間、彼らは知性のまさに根を断たれてきた。

日本では、すばらしい芸術と考えられているある種の木がある。それはシンプルに、殺人だ。木々は400年、500年と長生きするが、6インチほどの高さし かない。幾世代にもわたる庭師が、彼らの世話をする。その技は、こういうものだ、木々を、底のない植木鉢に入れ、根を切り続けるのだ。彼らは、木々の根が 大地に根をおろすことをさせない。あなたが深く行くことを許されないとき、木はただ、年老いるだろう。―それらはけして成長することがない。その木を見る のは、不思議な現象だ。それは古(いにしえ)のもののようだ、だが、それは年をとってきただけで、けして成長することがない。それはけして花咲くことがな く、どんな実をつけることもない。

それがまさに人間の状況だ。彼の根は断たれている。人はほとんど根がないまま生きている。彼が根なしにさせられてきたのは、そうすれば、社会や文化、宗教や国家、両親やあらゆる人たちに依存するようになるからだ。彼は依存せざるを得ない。自分自身には根がないのだから。

自分に根がないことに気づく瞬間、彼は自分が狂っていくのを、狂気に走っていくのを感じる。彼はあらゆる支えを失い、暗い溝へと落ちていく・…・彼の知識 は借り物であり、自分自身のものではなかったからだ。彼の体裁は借り物だ。彼自身は、自らの実存に敬意を抱いていない。彼の全人格は、何か外側に供給源を 持つ借り物だー大学や、教会や、国家からの。彼自身には何ひとつ自分のものがないー

ちょっと、思いつく限りの賛沢な大宮殿で生活する人のことを考えてごらん。ある日突然、彼に気づかせてみなさい、その宮殿は彼のものではなく、その賛沢も 彼のものではないのだと。それはこれから来る他の誰かのもので、彼はつまみ出されることになるのだと。彼は狂ってしまうだろう。

深いセラピーの中では、この地点に超遁することになるだろう、その人はそれに直面し、それを許さなくてはならない。狂っていくのだ。セラピーの中で狂って いける状況を許しなさい。ひとたび狂っていったら、彼はその恐怖を落とすだろう。もう彼には、狂気とは何かがわかっている。恐怖はいつも未知にまつわるも のだ。彼を狂わせるがいい、そうすればすぐに穏やかになるだろう、彼の恐怖には、何の現実的な基盤もないのだから。それは社会によって投影された恐怖だ。

両親たちは、もしあなたが彼らに従わず逆らうなら、お前は非難されるぞと言う。ユダヤの神はタルムードの中で言う、「私はとても嫉妬深い神、大いなる怒り の神だ。私は親切ではない」 あなたが大衆のたどる道を去るなら、きっと狂っていると宣言されるだろう。誰もが群集にしがみつき、宗教や教会、政党や国 家、人種の一部であり続けようとしている。人は独りを恐れている。

そしてそれこそ、あなたが誰かを、その人自身の深みへと連れてくる時に行なっていること だ。その群集全体、それら全ての結びつきが消え失せる。彼は独り残され、彼がいつも依存していた人は誰もいない。 彼には自分自身の知性が全くないーそれ が問題なのだ。自分自身の知性を育て始めるまで、彼はいつも狂気を恐れているだろう。そればかりか、社会はいつ何時でも彼を狂わせられる。それが好都合な ら、彼らはその人を狂わせるだろう。

基本的に、人類全体が狂気の瀬戸際にいる。深いセラピーの中で不意に恐怖にとらわれるのは、その人があらゆる支柱や支えを失うからだ。群集ははるか彼方に 消え去っていき、彼は独り取り残される。不意にそこには暗闇があり、恐怖がある。彼は独りでいる練習も、訓練もされてきていない。

そしてそれこそが瞑想の 役目だ。瞑想なしには、どんなセラピーも完結しない。瞑想だけが自らの失われた根や、個人でいる強さを与えられるのだから。恐れることなど何もない。だが その条件付けのために、あなたは一瞬ごと、一歩ごとに恐れねばならない。

人類全体が偏執症にかかって生きている。この人類は楽園に生きられるはずなのに、地獄で生きている。 

何も心配は要らない、恐れることは何もないと、その 人に理解させてあげなさい。子どもはみな恐怖なしに生まれる。彼は怖がりもせずに蛇たちと遊べる。.彼には恐怖や死といった考えは何もない。

 瞑想は人を その幼年期へと連れ戻す。彼は再び生まれる。 なぜそこに恐怖があるのか、その人に理解させてあげなさい。それは彼に押し付けられた、まやかしの現象だと いうことを明らかにしなさい。恐れる必要など何もないと、この状況ならあなたは狂っていけるし、怖がることはないと。

初めて狂っていくことができ、非難さ れるのでなく、愛され、敬意を払われる状況にあることを楽しむがいい。そしてグループはその人に敬意を払い、その人を愛することだ―彼はそれを必要として いる、そして静まっていくだろう。大いなる自由とともに恐怖から出てくるだろう―すばらしい活力に満ち、力強く、統合されて。OSHO


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