言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!ランボー
昨日の瞑想会は、バイオエナジェテイクスを紹介しながらのジベリッシュ。2ラウンド目は、依存と独立、好きと嫌い、強さと弱さ、暴君と犠牲者など、チャクラのエネルギーの二元性をジベリッシュで表現しました。
「いつであれあなたが動くとき、あなたはまた反対側にも動いている。反対側は隠されている。�それははっきり見えない。Osho - The Empty Boat」
というように、トータルにエネルギーを表現すると、自然に反対側も表現したくなりました。
「振り子が右に振れるとき、あなたはそれが右に振れるだけだと考える。しかし同時に左に振れるはずみが蓄えられる。右に振れるとき、より多くのエネルギーが�左に振れる為に蓄えられる。反対側に。それが再び左に振れるとき右に振れるはずみが蓄えられる。Osho - The Empty Boat」
生の二元性の振り子に気づくとき、気づきは大きくなります。後半は、サウンドレゾンナスのチャクラ瞑想を。
ハミングするのと、大音響でチャクラに合ったクリスタルボールと楽器の音を聞くことは、耳で聞いているだけでなく、身体に振動を響かせるので、とても強烈です。
バッテリーをチャージしたみたいに、元気になります。
その後の静かにする時間は、白い光の柱になったようだったとの感想をいただきました。
ハート瞑想と、瞑想会に自分は何を与えて、何を受け取っているのか?その価値を感じるハート瞑想をして、みんなでシェアリング。
雨の祝日の夜に、わざわざ遠方から出かけてくるエネルギーも体力も、参加費も、そして探究心も、そして気づきも与え、スペースを受取り、くつろぎを受取り、ひらめきを受取り、それらを与え受け取ってることの価値を認めて感謝を感じました。
ひとりで瞑想しているのと違う、エネルギーを与え、スペースと沈黙を分かち合っていることをひしひしと感じる時間でした。
会場を出て、近所の公園に円卓があり、それを囲んで皆で雑談。
少しジベリッシュで話したりしながら交流を楽しみました。
気がついたら電車の最終に近い時間まで。
自己紹介とかの時間もなく、瞑想を続けていますが、参加者同士が自由に仲良くなっています。会社や家庭での役割を超えて、本音で話せる関係をみんな求めています。
沈黙して、ただニコニコし合っている時間がきたらいいなあ。
前回は満月を眺めて興奮しました。「月なんか見るのひさしぶり」と仕事で忙しいKさんが言ってました。
ちょっと友だちのRを思い出させる元気で物知りな男性です。
大学生のRが初めて瞑想会に参加した頃を思い出します。何十年も前の話。あれから何百回 こういう集まりをしてるのかなあ。
「季節〔とき〕が流れる、城寨〔おしろ〕が見える、無疵〔むきず〕な魂〔もの〕なぞ何処にあらう? 」とA・ランボーは詩いましたが、この詩には続きがあります。
中原中也の訳はすばらしい。これは「幸福」というタイトルの詩だったとは、今知りました。
「幸福」
季節〔とき〕が流れる、城寨〔おしろ〕が見える、 無疵〔むきず〕な魂〔もの〕なぞ何処にあらう?
季節が流れる、城寨が見える、
私の手がけた幸福の 秘法を誰が脱〔のが〕れ得よう。
ゴオルの鶏〔とり〕が鳴くたびに、 「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希〔ねが〕うまい、 私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚〔とろ〕けては、 努力もへちまもあるものか。
季節が流れる、城寨が見える。
私が何を言つてるのかつて? 言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!
季節が流れる、城寨が見える!