ハートの花を見る
ハートのエネルギーを表すメタファーとして、花に例えるのはぴったりです。
昨日の瞑想会は、僕も入れたら八人になって、ジベリッシュ瞑想のあと、「ハートを見る」瞑想をして、自分のハートの花の絵を描きました。
瞑想が初めてのひともいましたが、短時間で、全員きれいな絵を描きました。
肉体的(即物的)なことしかわからなかったら、ひとをジャジメントするといってもせいぜい背が高いとか低いとか、美しいとか美しくないとか、地位があるとかないとかでしょう。
ちょっと肉体を超えた微細な領域を感じるようになって、それでいてジャジメントがあったら、「あのひとのエネルギーは高い」とか「低い」とか、霊的にどうしたとか、こうしたとか、ややこしくなってきます。
エネルギーなんて、少し良いものを食べたり食べなくても、変化するはかないものです。
魂と呼ぶのは言い過ぎだろうけれど、ハートは、そのひとのボディやマインドや、エーテル体やアストラル体を超えていて、さらにハートの中心に入って行けば、メンタル活動も超えたところにハートの花園があります。
ハートの花の絵を描いたら、ひとりひとり繊細さや強さや喜びや愛らしさや祝福といったハートの質を表す絵になっていて、それは個性的であり、また普遍的でもあり、どの花がすばらしいとか、すばらしくないとかもなく、ジャジメントのしようがない美しさでした。
粗雑であれ、微細であれ、エネルギーを感じたり、傾向とパターンを分析したり、占いなどで診断することも、そのひとの表層を判断するには役に立つけれど、もしどんなひとのなかにもハートの感じることができたら、ひとに対する見方がまったく変わります。
よれよれの服と長い髪とタバコでひとを煙に巻いているので、ある種の霊的な目を持っているひとしか、僕には近づけません(なんちゃって笑い)。
見た目とか態度とかでなく(すいませ~ん)僕の中にある宝を見つけてくれるひとに、ずっと僕は支えられてきました。
宝の持ち腐れと言われながら、シェアすることを勇気づけてくれ続けた、たくさんの先生たちのおかげでもあります。
先生や友人たちが、僕よりも僕の中にあるハートの花を見守ってきてくれました。なんてそれはありがたいことなんだろう。
毎週、すばらしい瞑想の場が持てています。ありがとうございます。
来週は、今週に引き続き、今度は「他の人のハートを見る」という瞑想をしようと思ってます。
ふつうは誰か他のひとを見る時に、たいていはパーソナリティ(人格)を見てしまいます。
外見とか、そのひとの振る舞いとか、それよりもほんの少し深いところにある強みの一部を見たり、その限界を見たりします。それはそのひとのほんの一部で、表面的なものです。
誰かのハートを見ることは、そのひとについての非常に違った経験をもたらします。
そのひとをもっと理解するようになるかもしれないし、もっとそのひとの良さを感じたり、慈しみや感謝の気持ちを感じるかもしれません。
もしそんなふうに見れたら、そのひととのコミュニケーションの質も大きく変わってゆくことでしょう。
(瞑想の準備として、次の瞑想会までに何回か、自分のハートを花に例えて見るという瞑想をしておくことがお勧めです)
ハート瞑想とチャクラジベリッシュ瞑想の会 日程 2月23日(木) 時間 19時から21時 会場 兵庫県西宮市 夙川防音室 講師名 VIJAY(辻本) 連絡先 http://mysticunion.wixsite.com/deva 参加費1000+場所代500