主人とは、観照しているあなたの自己だ。
だが、私たちは客と同化してしまう。実際には、主人はひどく客に占拠されていて、忘れてしまう。 ムラ・ナスルディンは何人かの友人と何人かの見知らぬ人たちのためにパーティーを開いた。そのパーティーはひどく退屈で、夜中も無駄に過ぎ、さらに続いて...
来ては去るものに自己同化しない
あなたは自分が考え、感じ、想像し、投影してきているものとは違う。 あなたとは、気づいているという事実にほかならない。 何が起ころうとも、あなたはまさに覚醒のままでありつづける。あなたは覚醒なのだ——その自己同化が壊されることはあり得ない。その自己同化が取り消されることはあり...
自分をあちこちで切り刻んで 自分の好みのサイズにしたりはしない
愛は自由をゆるす 愛は相手がやりたいと思うことは何でもゆるす やりたいと思うことは「何でも」── それがその人を至福で満たすなら、その人の自由だ OSHO とOSHOは言います。他の人を愛することでなく、 自分自身を愛することと読み替えたらこれはどうなるだろう?...
大いなる沈黙
以下はOSHOの言葉です。 「それがどんな瞑想法であっても、瞑想にはいくつかの本質的なことがある。まずはリラックスした状態であること:マインドと戦わず、マインドをコントロールすることなく、集中をするのではないこと。第二に、何が起こっていても、いかなる干渉もせず、ただくつろい...
ハートを開くという言葉
ユニティー・インスティテュートのブログに記事を書きました。ハートを開くという言葉について、あれこれと書いてます。僕としては、ハートを思い出すという言い方が好きです。 リンク先です。
存在はあなたの敵ではない
あなたの問題は基本的に、自分のいる場所で自分自身の内側を見ることだ。そしてもしあなたが苦しみ、悩み、心配し、苦悩しているとしたら、何かが人生に欠けていると思うのなら、もし満たされていないとしたら、どこにも何の意味も見出せなくて、ただ死に向かってだらだら進んでいるとしたら・・...
ハートの蓮と五感をつなげる
ハートは、蓮の花だ。あらゆる感覚は、蓮の開花であり、蓮の花びらだ。始めに、五感をハートにつなげなさい。次に、あらゆる感覚が、ハートの奥深くへと届き、吸収されるのを、つねに覚えていることだ。この二点が確立されてはじめて、五感が役に立つようになる。それらは、あなたをハートに導く...
サイレンスから見て、聞き、感じる
「サイレンスに到ると、あなたは異なった目で物事を見始める。そこにあるものは同じで、世界は変らなくとも、あなたが異なった目をもっているため、異なったあり方で見え始める。以前と同じバラの花は、その美しさのためどんな目的も必要なくなる。ただその美しさ、それで十分である。カッコウ鳥...
ハート瞑想は自分との友情(マイトリー)を育む
以下は30年以上前に読んだセラピー論文の一節です。この頃からしたら、いまはマイトリー(慈悲・友情)のために、ハート瞑想というメソツドがあるから、こういう言説がただの言葉ではなく、どうしたら自分と友好的になれるか?ということに実体があります。どうしたいいかと言えば、ハート瞑想...
輝ける闇の探求
「闇に光をもたらすならば闇は消えるとあなたはおっしゃいます。あなたが光です。では闇はどこにあるのでしょう。私はなぜ闇も恋しくなるのでしょう?」 その質問に対するOSHOの答えの最初の一文だけで、私には充分でした。OSHOはこう言ってくれました。...